團菊祭五月大歌舞伎夜の部

遊びをせんとや

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 御殿 床下

奈河亀輔作、1777年大阪嵐七三郎座初演。

そもそもの題材である伊達騒動は放蕩三昧から改まることのなかった三代目伊達藩主伊達綱宗が1660年強制隠居となって2歳の亀千代が4代藩主となったことにつながる一連の実権争いを題材に登場人物を鎌倉時代の人物名に置き換えて脚色したもの。

幼い藩主亀千代の毒殺を警戒して用意された食事には手をつけさせず自室の茶道具での“飯炊き”の場を演じることを念頭に茶道の稽古をされていたという菊之助さんの政岡、ぜひにもとくと拝見しておかなくてはと思うものの、種太郎くん亀千代と丑之助くん千松がかわいらしくてどうしてもそっちに目がいってしまうのと、あと舞台下手に向かっての風炉でかつ客席側に建水が見えない配置。

四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)  四谷見附より牢内言渡しまで

河竹黙阿弥作、1885年東京千歳座初演。

田村成義が町奉行所の旧記から発見した金蔵泥棒の宣告書と、柳葉亭繁彦作の小説「千代田城噂白波」を併せて脚色した作品。

浪人藤岡藤十郎は富蔵に唆され二人で江戸城の金蔵から四千両を盗み出す。

以下、今回の演目ではばっさりすっ飛ばされているが、当初はほとぼりが冷めるまで金は使わない目論見であったのを、藤十郎は材木で設けたと言って貸付を始め、執心していたお辰の身請けをしようとする。お辰はよい仲であった徳太郎と心中しようとするのを、悪事の発覚を予期して三百両をもらいうけ、生き別れた母を加賀に尋ねようとする富蔵に救われる。また富蔵は熊谷に女房おさよを訪ねるが、折しもおさよは金の方に生き馬の眼八に連れ去られようというところを助ける。

そして以下、今回の舞台。加賀で囚われて江戸へと護送される富蔵に眼八が近づいてひと悶着で眼八が追い払われた後、縁切りしたおさよと父六兵衛と娘を伴い雪の中最期の別れを惜しむ。その後伝馬町の牢の場。富蔵はここでも一目置かれ、牢名主からは引き回し後死罪に牢から引き出される際の着物やこよりの数珠を手向けられ、また後から牢に入ってきた眼八に対しても遺恨を晴らす。

この演目は初見のはずだけど、特に牢内の様子がやけに既視感あるのはドリフのコントだか、もしくは座頭市かなにか時代劇のシーンにも流用されていたのか。

子供向け戦隊モノなんかでなんとかレンジャーのメンバーが一通り名乗りと見え切りするまで悪者たちが大人しく待っていたりするようなのもおそらく歌舞伎以来のお約束といえばお約束という具合に、少なくとも昭和までは、至るところにそういうエッセンスは流れていた。

昼の部に比べると夜の部は人出も落ち着いている、というのはこの日がたまたま連休最終日だったというだけかもしれないけれども。

2階のギャラリーの左團次丈の写真。いつも3階席だからそこまでは感じていなかったけど、改めて舞台写真で拝見するとがっしりした体格のイメージだったのが、夕顔棚の時点でもうかなり痩せていらした模様。

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