小さな綻びのように自分の中の不協和音はじわじわと広がっていて、ある日突然些細な一言であーもうどうだっていいや、と投げやりな気分が一気に充満、というのはよくあることなんだけど。
今回も例によって母の一言。年取った親は外タレと思って扱うしかない、とかつてジェーン・スーさんの名言にもあったけど、分かっていても修行が足りないのと過去からの実は成仏してないキモチの蓄積とでついつい沸点が下がっていく。
幸いなことに実家に行く用事はなかった。広すぎて母連れでは移動の厳しい郊外のショッピングモールまで買い物にでも、と思っていたのだけど、気分が塞いで、結果的に着替えもせずに1日家に籠る。
で、籠って何をしたかというと、「あぶない刑事」の映画第1作から7作までを一気見。直近の東京からの戻りの機内上映で最新作「帰ってきたあぶない刑事」を見て、なんか昭和から令和までをおさらいしておかなくてはいけないような気分になり。
- あぶない刑事(1987)
- またまたあぶない刑事(1988)
- もっとあぶない刑事(1989)
- あぶない刑事リターンズ(1996)
- あぶない刑事フォーエバー(1998)
- まだまだあぶない刑事(2005)
- さらばあぶない刑事(2016)
- 帰ってきたあぶない刑事(2024)
一気に見たせいか、何作がどういうストーリーだったのかカーチェイス&ドンパチ音でかき消されたような感は否めない。イライラで思考が堂々巡りになりそうなときにはこういうのが一番よいチョイスかもしれない。
以下、見てて思ったことランダムに書き留め。
- 大下がポッカコーヒーを飲んでいるのは昔の柴田恭平のCMの記憶があるからわかるけど、鷹山がポカリを飲んでるのがなんとなくダンディのイメージに似つかわしくないような。
- 初期のヒロインがなんとなく微妙に思えてしまうのは当時のファッションのせいだろうか。最後ほぼ必ず死ぬ。
- 逆に後半へいくほど大下の服の趣味が非現実的な領域に。なぜ?
- 公開時期からしても1~3作目までが一括り(昭和バブル期)、4作目の公開まで7年。以降CG演出も嬉々として採用される。よく言われることだけど、サリン事件以降特に犯罪に関しては現実と虚構の閾がおかしなことになってはいくのだけど、この作品については根底の能天気さが救いというか癒しにすら感じる。
- 6作目以降2人の老化を意図して描写した上で年甲斐のない暴れっぷりを強調。トオルがかわいいまま一番順当でいい年の取り方。
- 7作目で鷹山・大下が定年を迎える設定なんだが、それはそうと小林稔侍の定年はいくつになるのか。キャリアとかで枠が違う?
- 港署内で一番おいしい役どころは木の実ナナ。鷹山・大下に「一生ついていきます」と言わしめる。でもこの「一生ついていく」っての、たぶん自分には一生縁のない言葉。言うのも言われるのも発想自体。
- 最新作の横浜の街並の映像の美しさは随一。
- 「男はつらいよ」じゃないけど、主役の2人がいなくっても過去映像からCG合成の映画がそのうち公開されかねない気が。それって見たいような見たくないような。
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