この本を手に取ったきっかけは、ただ何となくでしかない。上下巻の読後の感想としては少々複雑。
縄文・弥生時代に記紀の指す高天原に相当する祭祀国家あって、そこから逆に海路などのルートで南九州へと移動したという説はすごく納得できる。その方が縄文遺跡が東日本の方に多いことや藤原氏(中臣氏)が鹿島から春日神社にご神体を勧請している経緯にも説明がつくような気がする。
魏志倭人伝には信憑性がない、という説には意表を突かれたけれど、実は邪馬台国はガセネタでした、としても大して歴史に齟齬は出ないということも言われてみればまぁそうで(金印の存在だけはちょっと気になるが)。
秦氏ユダヤ系説にしても、そういう可能性もなくはないかもしれない。
逆に近世、現代に近づくほどそうだろうか?と首を捻ってしまう。
所謂「自虐史観」のアンチテーゼだろうけれど、秀吉の朝鮮出兵や日清日露、大東亜戦争の動機について、日本が自国とアジアの将来を憂いて、という意図を完全否定する気はないけれど、それがそこに物質的な欲得勘定だったり得体のしれない恐れからの過剰防衛的な攻撃性だったりを孕まない100%の純粋意志だけで国家が動いていたはずもなく。
むしろ純粋意志だけで動く集団があるとするならそれもまたちょっと怖い状態ではないかと思ってしまう。
日本がこんなにも素晴らしい国で、そして自分たちはこれからこの国をどう動かすのか動かさないのか。
平易に読みやすく書かれているだけに、読むスタンスにはよく自戒しながら読んだ方がいいのかなと。
コメント