それはふと目につくデコルテの肌理の粗さだったり爪の縦筋だったり。今更だけど、自らに日々順当な経年劣化を実感する今日この頃。とりあえず風呂上りにはより広範囲に化粧水をすりこんだり甘皮周りにオイルをもみこむ頻度を増やすという気休め程度のケアしかしていない。そんな気休め程度のケアも日々丁寧に継続できていればまだマシな状態でいられたのかもだけれども。
見た目以上にカラダの機能低下の方も年相応。右から左に移行してしまった五十肩の問題かと思っていたのだけれども、どうも左上半身全体の可動域の問題ではということに、これも今週になって気がついた。どうも骨盤に対して上半身が若干右向きに捻じれている模様。巻き肩同様なるべく正面向きに姿勢を保つよう意識はしているけれども癖になっているのか早々には治らない。
それら不具合を年相応ということにしてしまっていいのかどうかということはさておいて。
40代の終わりから50代に入りたての頃、自分より一世代上の先輩が週に何回もジムに通っているという話を聞くにつけ、なんで皆さんそんなに体力そして金銭的余力があるんだろうと不思議に思っていたけれど、今自分がそういう年代になってみると分かる。子世代の面倒からは一旦解放されて今度は老いていく親世代を目の当たりにして、これからのあれこれに備えてとにかく今ある体力を維持しておかないとという危機感としての動機。
引き続き連絡を取り続けている人はもうなく、当時の先輩諸姉が今どうされているのかを知る術もない。上の世代に限らず連絡を取り続けているつきあいそのものがすっかり薄い。距離や会う頻度に加えて相手方のブログやSNSも更新されなくなるともう近況が分からない。そういうのも単に自分の不徳の積み重ね。

だとしても寿命のきてしまったご縁に延命措置を施そうというのもまた意味のないこと。おつきあいが切れてしまったという結果はそのまま受け入れて、思い出したときにはその節にはありがとうございましたご不快な思いをかけていたらごめんなさい、と遠くから思ってみるだけ。
たぶん、ご不快についてはいろいろやらかしてる。そういうのを敢えて重ねてしまうことは当然避けたい。
だからと言ってそればかりを気にして世間の顔色伺うようにして生きてみたところで、と考えてしまう時点ですでにそこから不遜な私。
たぶんこれからも恥ずかしげなく不遜なままで年を重ねていきそうな気がする。
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