春先に演目が公開になった時点では、6月は三越劇場の新派公演と、歌舞伎座の昼夜、博多座昼夜と全部観る気でいたのだけれども。結果チケット発売時点では新派と歌舞伎座博多座夜を諦めた。今の自分を冷静に見て、そこまで観劇にかける体力というか財力というか熱意というか、その全部がいよいよ下降してきているのは確か。
もちろんそれでも見に行った演目には十分満足だし楽しんでいるんだけどねぇ。
修善寺物語
岡本綺堂作、1911(明治44)年、明治座初演の「新歌舞伎」の代表作とも。
面作師夜叉王(彌十郎)の2人の娘、桂(新悟)と楓(莟玉)が紙砧を打っている。上昇志向の強い姉・桂は砧打ちのような仕事には飽き飽きと吐き捨て、夜叉王の弟子で楓の婿でもある春彦(虎之介)をも「職人風情」と見下し言い争うのを夜叉王が止めに入る。夜叉王は春彦を宥めつつ、姉妹の亡くなった母はかつて公家方向をしていたため気位が高く、桂は強くその血を受け継いでいると話す。
そこへ修善寺に流されている源頼家(松也)が金窪行親(亀蔵)と修善寺の僧(市蔵)を伴い、かねてより夜叉王に頼家に似せた面の制作を申し付けているが一向に仕上がってこないことに業を煮やし直々に仔細を問い詰める。
いくら打っても恨みを目に宿した怨霊のような面しか仕上がらず、そのようなものを自分の作品として後世に残すことは名折れと夜叉王は面を渡そうとせず、いよいよ頼家の勘気を被ることを恐れて姉妹は夜叉王が満足していない試作品の面を頼家に献上。その出来栄えに頼家自身は満足し、同時に桂を側仕えに伴って修善寺へと帰っていく。高貴な者への側仕えの夢叶って喜び家を出て行った桂の一方、失意の夜叉王は二度と鑿を持たないことを決意。
しばらくの後、道具を取りに出ていた春彦は帰りの道すがら北条方の軍勢が修善寺を取り囲むのを見て頼家に知らせようとするが囲みを破ることができずに夜叉王と楓の許に戻る。頼家や桂の身を案じる夜叉王と楓の許へ頼家の持ち帰った面をつけ影武者となった桂が命からがらに倒れこむ。やがて修善寺の僧より頼家最期の報を聞き、夜叉王は自らの腕が落ちたのでなく頼家の運命を宿すほどの面であったということに自らの腕に快哉する。それを聞いて自分も一瞬でも頼家に仕え若狭の局の称を得て本望と言って死にゆく桂の表情を、「わかきをんなの断末魔の面」として後の手本にと描き写す夜叉王。
――と、筋書だけで随分と文字数を。あらためて青空文庫で確認したけれど、ほぼ原本通りの演出だった。岡本綺堂 修禅寺物語 (aozora.gr.jp)
「鎌倉殿」の北条時政の記憶も新しい彌十郎さんの夜叉王は、やっぱり見ておいてよかった。
身替座禅
岡村柿紅作詞の常磐、、1910(明治43)年、東京市村座初演。松羽目だから古い?とかというあまり根拠もない固定観念があったけど意外に新しかった。
あらすじは今更だけど、大名山蔭右京(松也)が京都に出てきた花子に会うのに怖い妻玉の井(彌十郎)を騙すため、夢見が悪いから一晩座禅をするので絶対に見に来るなと言いおいて持仏堂で太郎冠者(尾上右近)に衾をかぶせて身代わりに出ていくが、太郎冠者の身代わりは玉の井には早々に見破られ、戻ってきた右京は衾をかぶって怒り心頭に待ち構える玉の井を太郎冠者と思い込んで昨晩の顛末を語るというもの。
玉の井は貫禄ある立ち役が敢えて醜女に化粧を作って笑いを誘うのだけど、でもちゃんと嫉妬の裏に可愛げが出ないとどうしようもない話になってしまう。「婦女庭訓」の意地悪官女よりも演じる人を選びそう。
恋飛脚大和往来 新口村
昼の部最後の演目は梅玉さん忠兵衛(+父孫右衛門の二役)扇雀さん梅川のベテランで締める。
1773年大坂初演。近松「冥途の飛脚」を改作した人形浄瑠璃「けいせい恋飛脚」をさらに歌舞伎化。
大阪の飛脚亀屋の養子忠兵衛は馴染みの遊女梅川に上がった身請け話を阻止するために、店の預り金の封印を切って身請け代に使ってしまう。飛脚屋の預り金横領は死罪であり、雪の中、梅川を伴って忠兵衛が故郷新口村にたどり着いたところから幕が上がる。すでに追手が一帯に迫っていることを知り、忠兵衛は知り合いの家に素性を隠した上で身を潜める。
寺での集会に前を通り行く人々の最後尾に忠兵衛の実父孫右衛門が通りかかり、雪で足を滑らせ転倒したところを顔を知られているため出るに出られない忠兵衛に代わって梅川が飛び出し、孫右衛門を助け起こし介抱する。孫右衛門は梅川を息子の連れ合いであることに勘づき、養母である亀屋が忠兵衛の罪の責で投獄されたことを語り、自分の目の見えないところで早く自ら出頭するようにと伝える。それでも息子への思いが断ち切れない孫右衛門に梅川は目隠しをし、孫兵衛が出てきてその手を握ったところを梅川がはらりと目隠しを外す。そして梅川と忠兵衛が落ち延びていく様を見送る孫衛門。
それにしても博多座って、いつ来ても居心地がいい。そして博多座で見る松也は他の劇場にもましていいような気がする。なんの根拠もないけれど。
前回の歌舞伎座の時は写真撮り忘れたけど、同じ着物。歌舞伎座の日の帯は玉虫入った焦茶の名古屋、今回は半幅で。東京から帯締めをもう少し持ってくるつもりだったのに忘れていて、ちょっと色が合っていないけど仕方ない。
まだ6月だというのにすでに30℃近い日が続いている。単衣の時期でも着て大丈夫とか唆されて清水飛び降りした夏大島、今後着物が着られる間は着倒すつもり。
それはそうと、いい悉皆やさんをこちらで早いところ探さねば。
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