趣味の良しあし以前に、いつも片付いて掃除の行き届いた部屋というのは自分にとって憧れというより一時期は悲願とでもいいたいくらいに切実だった。部屋の乱れは心の乱れとか世間でも言うけれど、部屋さえ片付いていれば人生の問題の7割が解決する、根拠もなくそんな風にすら思っていた。片付いた部屋をキープする能力があれば他の家事も仕事も人間関係もすべてうまくいくかのように。なんでそんな風に思ったのか今となっては覚えていないけれど、いろいろ自分なりにもがいていたと思う。
生まれついての片付け下手の血はちょっとやそっとの決意で克服できるものではなく、気がつけば家の中には物が秩序なく散乱して、黴や埃が溜まっていく。新宿に住んでいた頃はまだまだ子供の用事で時間を取られていたし、自分自身が他にやりたいことがいくらでもあったし、そして何より隙あらば寝ていたいという人だったので、当然のように掃除は後回しになる一方だった。
そこから調布に引越した頃には子供にこそ手はかからなくなっていたけれども、その分浮いたはずの時間はそっくり仕事での拘束時間に回っていた。ペット可の物件だったので引越後相次いで猫2匹を迎え、就職で独立したはずの長男が諸事情で3年足らずで戻ってきてしまい、そうこうするうちに諸事情で猫がさらにもう1匹増えたりしたので、黴はともかく埃の堆積速度は以前よりむしろ激化していったのは言うまでもない。
掃除しやすい家具の工夫であるとかそもそも物を減らすとか。いろいろあるにしてもとにかくどうしたら掃除をルーティン化して汚れの溜まるスピードに追いつけるのか。そんな時に少しでも掃除モチベーションを上げようと思いついたのが、掃除を趣味だと思い込むというソルーション。「ねばならない」を「したい」と変換して自分の脳を騙す作戦は、ばかばかしいようでメンタル的には効果なくはなかった。結構自分は掃除好きなんじゃないかと、実際今は錯覚すら起こしている。それでも相変わらずに隙あらば寝ていたい体質は変わらず、加えて歌舞伎見物などという趣味に走っていたりもしたので、必要な掃除ルーティンの頻度には届かないまま今に至る。というか会社を退職していまは福岡で月の半分以上を過ごすという状態で、当然調布の借家を不在にしているのだ。
では福岡で借りている部屋はどうなのかというと、一人だとそこまで散らかることもない。散らかっても5分10分あったらすぐ片付けられる程度。
けれども今のところたった一人で居住しているだけのこの部屋も、埃はどこからか床の上に浮いてくる。最初は気になったらフローリングワイパーをかけていたのだが、今月になって使用後のフローリングシートの汚れ方が冬の頃の綿埃や髪の毛だけではなく、全体に薄黒い。今月は植木鉢をいくつか車で運んできたので、それをベランダに置くときに部屋の中に少し土が落ちてしまったのかなと思っていたのだけど、翌日もその翌日と毎日やってもシートは薄黒くなる。
これは気温も上がってきたので部屋にいるときは少しベランダの窓を開けて過ごしていたので外から網戸をすり抜けて入ってくる塵埃ではないかという気がしてきた。大雨で窓を開けなかった日については汚れが少し薄かったので、たぶんそう。ここは4階だがベランダの向こうは片側3車線の交通量の多い道路、さらにその向こうにはブルドーザーが常に何か掘り返し作業しているのが見えたりする。そりゃ常に空気が埃っぽくても不思議はない。
洗濯物は夜お風呂で洗濯して室内干しにしておけば朝には乾くものだからこれまでも外に干したことはほとんどなかったけど、今後も基本は部屋干しの方がよさげ。
そんな流れでなんとなくフローリングワイパーだけなら毎朝、という習慣は今月の3週間弱の滞在期間毎朝継続達成。本当はフローリングシートだなんて消耗品使う贅沢やめて雑巾がけにしたいところだけれど、まずは習慣化定着が先決なので、そこは節約主義は一旦脇へ置くことにした。
部屋が片付いていれば人生はうまくいくという、その根拠のない信仰は果たして真実だっただろうかと改めて考える。片付いているからうまくいっているというよりも、片付けたいと足掻いているうちになんとなくなるようになり、落ち着くべきところに落ち着きつつある、そんな感じだろうか。
調布の借家の方はとてもじゃないけれどまだすぐに撤収できるというような状態でもないし、ここで油断して老後またゴミ屋敷婆さんにならぬとも限らぬのでまだまだ気を引き締めて趣味の掃除に邁進しなくては。いよいよ芝居見物からも距離を置く日は近づいてきているようだし。
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