実家に母を迎えに行き、母行きつけ整体院まで行く道すがら。用あって郵便局に道すがら、しばらく前から空き家っぽかった幼稚園のときの友達の家の取り壊しが始まっていた。
子どもの頃から同じ家に住み続けているのは家で商いしていた家で、来年還暦を控えた丙午学年の特に女子たちの実家はそういう時期なのかどんどん別の建物に。男子の一部でその稼業をついだのかたまにそれらしき風貌のおっさんを見かけたりするが、特に声はかけない。
地元を離れて暮らすこと約40年、子どもだった時点で友人づきあいの薄い性格だったし、長じて同窓会にも成人式にも一切顔をだしていない。声かけて続ける話も特にない。皆それぞれに恙なく還暦を迎えておくれと祈るに留める。
私とは対照的に、中学校の同窓生と結婚して義実家同居、地元の友達づきあいを家族ぐるみで継続していたのが亡妹。マイルドヤンキー文化の人、という言い方すれば本人は否定しただろうけど、やってることはそのものだった。彼女が亡くなった後も娘(私からみれば姪)はおろか、さらにその子供(孫世代)を地元の友人が一時預かりとかいまだに続いているらしい。さすがにここまでくるとマイルドヤンキー云々の揶揄は一旦取下げて、妹故人の人徳というものを認めざるを得ない。
そんな妹が久しぶりに夢に出てきた。どこかの場所に母と妹と3人でいるのだが、さて撤収しようとする段になってなんでか思うように片付かず、さてようやくさぁ行くよ、となった途端妹がすっと姿をくらます。そこで、あ、妹はもういなかったんだなということを思い出してこれは夢だったと悟る。そんな朝だった。
ちなみに父が出てこないのは、昭和高度成長期の父親にありがちないるけどいない、いない方が家庭は平和、という感じの父だったから。この人もまた随分前に亡くなっていて、私がこの人の享年を越えて5年は経つ。
整体院からの帰りは母の実家である従弟の家へ生協の注文票を預けに寄る。母のすぐ下の妹であるS叔母も来ていて、小一時間お茶。祖父方親戚の話になって「あの家も代替わりするともう違う場所みたいでなかなか寄れなくて」などと話しているが、そもそも今あなた方が実家として屯している家も実弟どころか甥っ子の代。その彼に「今からでもいいお嫁さんが来てくれれば」なんて言ってるけど、今時大姑どもが週に一度二度とお茶しに来るような家に来る嫁がいたとしたら逆にいろいろ疑わしくないか。

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