10年前に千葉市美術館で観た田中一村の絵に感銘受けて、いつかは行ってみたいと憧れの奄美。数か月前その地住まいの方と知己を得る機会をいただいて、先日久しぶりにその方とお話する機会があったのだけど、その時の話の流れで新嘗祭の日の神社詣でをお勧めされた。
ちなみに自分、普段はあまり神社とご縁はやや疎め。なんちゃって切支丹だもんだから所属教義的には少々閾を高く感じているという側面はあるけれど、だからといって別に神社を嫌って足を向けないという訳でもない。初詣にも行かないし、今最後に出かけたのは従弟たちに便乗した先々月の筥崎宮の放生会。ただ夏越の大祓の茅の輪くぐりについてだけは、できるだけ毎年どこかしらで参加させてもらってる。おかしなスタンスの取り方だとは思うけれど、あまり深くは考えない。
せっかく勧めてただいたことだしと、さっそく新嘗祭をやってると思しき神社を調べてみる。この近辺だと西の方角に離れた地区の神社がヒット。でも生憎その日は午前中宅配便待ちをしていて午後は午後で用事が入っていたからそっち方面まで出向くのは時間的に厳しい。
そういえば去年、福岡での居をこちらに移してきて以来、一度も近所の神社に立ち寄ったこともなかったし、一番近くの神社に行ってみるには遅ればせながらもいい機会。待っていた荷物の配達を受け取った後、散歩がてらに歩いてみる。
住まいから見て裏手の竹藪が続く丘の間を抜けて、果たして思ったよりも随分近くにあった。そのタイミングには全く人の気配がない。
手水舎の水道は最初からハンドルが外されて使えないので手真似だけで手と口を漱ぐ仕草をしてみる。社務所も賽銭箱もなく、どなたを祀っているのかすら説明書きの立て札もなく。ともあれ手を合わせて来年も自分も世界のどなたもみな食いっぱぐれなく健やかであれますようにと誰もいない場所で二礼に拍手一礼。
別途調べてみたところ、そこは埴安神(はにやすのかみ)を祀る神社の流れで新嘗の趣旨に違う場所でもなさそう。ただの空き地のようなこの場所の風に木の葉の音だけの雰囲気、なんとなく好ましい。
その次の日の日曜日。従妹のつながりからNPO法人花の花主催の収穫祭に誘ってもらって、従妹と母と3人で寄らせていただく。新米のおにぎりと豚汁のご馳走。お米と塩のシンプルな味わいと、豚汁の敢えて皮を残した根菜の具材の、その皮のところがしみじみと旨い。日本に生まれてほんとによかった、みたいなこと思いつつしみじみと味わう。結構なボリュームのおにぎりがツワブキの葉に乗って出てくるのがかわいらしい。米食いな従妹、母からもらっておにぎり3つ平らげる。
ちなみにこちらはこの日収穫祭のメニューではなくて、先々週、花の花のカフェランチでいただいたピザ。作業所の農園で大切に育てた食材の味を最大限に引き出したやさしい味。こんな風に料理してもらえたら野菜も穀物もそれこそ本望と感じてそう。
ひょんなきっかけだったけど、収穫すること食べることの感謝の機会を持つことができた週末。
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