脳梗塞での入院、休養から勤務に復帰した夫の予後の様子見での上京について飛行機を取ったその後からいくつか予定が6月に集中して入ってきてなんとなく気忙しい。まず月初に一泊で行って帰ってきた長崎の話も書けないでいるうちに、3ヶ月ぶりに行ってきた調布から昨日帰ってきたところ。

日付が変わる間際に到着して、翌朝夫が出勤していった後水回りを中心に掃除。水垢や多少の黴、トースターにこびりついたパン屑、茶渋落とし、絞ったら油がしたたり落ちそうなガスレンジフードのフィルター交換など、朝の時間帯で黙々と一通り済ませる。
会社での昼食は毎食買いだめした大きめサイズのカップ麺なのをいくら注意してもやめなかったのだけれど、さすがに自分でもよくないと思ったか病休からの復帰後は毎朝自分で詰めたお弁当と夕飯を写真に撮って毎晩律儀に毎日LINEで送ってきている。多少掃除が行き届かないのを許せないほど私も鬼ではないつもりだけれども、薬の袋やレシート類がテーブルや棚の隅にぐしゃぐしゃになっている、この壊滅的な整理整頓能力の欠如だけはなんとかならないものだろうか。
一段落ついた所で調布駅の方まで散歩。布田駅まで足を延ばして、引越前にとうとう行けず終いになっていたお店にて一人ランチ。深大寺蕎麦粉使用のいかにも写真映えするガレットだったにも関わらず、アラ還女子が一人で食べきれるか不安になるようなボリュームに恐れおののいてしまい、カメラ向ける余裕もなくわしわし食べ始めてしまった。ドリンクの方は平日の昼間からだけどせっかくなのでシードル、これは最初から300㎖で注文したのがちょうどだったけど、私の後に隣席についた二人連れの客(母子?)はカフェオレがどんぶりみたいなボウルになみなみ運ばれてきて腰を抜かさんばかりに驚いていた。おいしかったので調布に来たらまた寄りたいとは思うものの、いつになることか。そしてその時の私はこのボリュームのランチがまだいけるのか。
翌日は飯田橋で次男と待ち合わせ。家族の誰かの誕生日には鰻、というここ数年の習わしに従って、神楽坂で鰻。わざわざ神楽坂というところに特に意味はなかったらしいが(予約は次男)、それこそ30年前まで割とこの近くに住んで仕事にも通ったりしていた辺りなので懐かしい。
その後に移って20年住んだ新大久保についてもそうなのだけど、過去に住んでいた界隈が賑やかに繁盛しているのは寂びれて閑古鳥が鳴くよりはよほどいいことなのだろうけど、でも賑わいにも心地よい限度というものはあるよなぁとはやっぱり思う。
店はそんな賑わう坂道から脇へかなり奥まで入っていった先。鰻はさっぱりめの味付けでとてもおいしかった。何なら博多の有名な○○よりも食べやすいかもしれない。ただ、ここもまた昨日のガレットに引き続き、一人前完食するともう何もできない気分になるくらい満腹。東京食い倒れ。

寅の日だったので毘沙門天にも寄って帰る。金廻りよくいられますよう。
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