真夏の蛹。

日々のぼやき

暑さにぐだっていたら、月も変わるし立秋も迎えて旧盆目前。

5月の終わりにとやらの向こうに虹の橋逝ってしまった牛柄ちゃんもお盆には帰ってくるのだろうか。我が家で唯一の調布生まれで調布育ちの彼女が帰る家はあくまで調布の借家であって、時期も旧暦でなく新暦だったのか?

そもそもうちにはヒトの仏壇も神棚もない。聖母マリア被昇天の祝日(8月15日)に教会に行くこともしない、なんちゃって切支丹。

お盆でなくてもいい。猫の姿でなくてもいい。気が向いたなら、またおばちゃんの所に戻っておいでと思う。真平御免だし!という牛柄の声の甲高い声が聞こえてくるような気もするけど、それでも気が向いたらいつでもおいで。あの子のことは思い出す度おばちゃんは柄にもなくセンチメンタル。

その牛柄猫との思い出の詰まった調布の木造の借家の2階、風の通らない構造上か夏はとにかく熱が籠って暑い。

越してきたばかりの9年前、もらわれてきたばかりの橙猫もお腹を出してひっくり返ってたっけ。

そんな暑苦しい借家からの撤収について、一旦は今年の11月下旬に照準定めていろいろ調整中だったのだけれども。夫の仕事の都合で10月11月は動きが取れないことが今月に入ってから確定してしまったため、結局引越は年明けに延期。

だったら期日の猶予ができた分準備すればいいじゃない、というふうに正しい方向には行かないのがワタシクオリティで、逆に気が緩んでしまってすべてのやる気がぐずぐずと消失。気がつけばまた何も片付かないまま福岡に戻ってきている。

低空飛行モード以前に入れた予定はとりあえず粛々と、喫緊の用事が入ればそこになけなしの行動力全注入でやりすごした後は抜け殻のように動かない。

いずれこの家を撤収することは引越してくるより前に想定のことだったはずなのに、やっぱりどこかで現状維持でいたい気持ちがどこかにあることは薄々自覚はしてもいる。

せめて家族といる期間はとなんだかんだ家のことについては割とやっているし(あくまで当社比のレベルではあるが)、福岡に来たら母の予定に合わせてほぼ毎日の実家通い。そのために移動生活しているんだからそのこと自体には何の異存もないのだけど、ただ、自分個人について、この先へ向けてやろうとしていたことには急ブレーキがかかってしまって、という感覚。

これってひょっとして蛹期なんじゃないかとまた益体もないこと思いつく。ついこの間まで自分でも驚く量の葉っぱ食べてたかと思ったら突然動けなくなって固まって。外からは動けないようでいても実は内側で絶賛再構築中だったりする、とか。

そんでもって殻を破って何が出てきたかと思えば、蝶になるでもなく蝉になるでもない、以前の芋虫の姿のまんまだったりしたら、なおのこと自分らしいではないか。それでも以前より純化&進化したシン・芋虫。

またバカなこと考えてるよねこのヒト、と冷たい目線を送ってくる牛柄猫が足元にいてくれないのがやっぱり寂しい。蛹期というか、有体にいえば更年期なだけなのは分かってるさ。

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