昔からワードローブは全般に無彩色系。ややもすれば地味を通り越してしまうようで、次男に「こぎれいな浮浪者みたい」などと言われてみたり、向こうからしたらほぼ初対面だったミリオネア占星術の一華五葉さんのサイン会で唐突に「色を入れた方がいい、太陽を取り込むというか…」という不思議な御託宣を頂いたり。次男の時は草木染っぽい薄緑のぶかぶかワンピース、一華さんのときは厚手かつ丈長のツイードのジャケットにグレーのサコッシュという組み合わせだっただろうか。
一華五葉さんの方は単に見た目の上での指摘ではなく、もっと周りに対しての自分をわかりやすく表現するラベリングからしっかり意識してやれというアドバイスが凝縮された指摘だったんだろうと自分の中では結論付けている。とは言え第一印象で見た目要素の割合はかなり高いので、まず見た目からどうにかしようよという話に結局は行きつくことになる。つまりサイン会に出向いたその日の着こなし人としての中味以前に客観的にイケてなかったんだと思う。
その後一念発起した私は劇的ビフォーアフターで垢抜けていろいろ成功してうまくいって。というような、それこそ一華五葉さんがある女性経営者と出会ってからの成功譚のような筋書には決してならないところが自分クオリティ。相変わらずに見た目は地味ダサ路線を外れることなく、還暦に向かって未だに自問自答は続いている。
一応それ以降いくら体の線を拾わなくて楽だとしてもあまりに緩すぎるシルエットの服は減らし、最初から無彩色系といえど生地が毛羽立ったり色褪せを感じ始めたらそのシーズンの終わりには処分するようにした。差色を入れてみるとかもたまには考える。
ちなみに差色としてはその時の”太陽”というキーワードからの安直な発想でしばらくはオレンジ色が私的流行色だった。それが最近なんだか身に着けるのを躊躇う気分。先の参議院選のせいも少しはあるような。
”太陽”≒太陽星座という意味合いで考えるなら、着るモノの物理的な色合いのこと以前に、自分が自分をどう見せようとしているのか、それが回りに初見で伝わる見た目だったり言動になっているのか。そういう意味でもまず自分の意図とやらも言語化できてる気がしない。思えばこの”言語化”という言い回しも、オレンジ色の小物同様なんとなく最近抵抗がでてきたのだがそれはなぜ。
とりあえず新しいモノを投入するよりは今あるモノを整理で続行する。
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