簡単に揺らぐ波動とやら。

ご自愛専一

毎週の整体通いの効果もあってか、右から左へと移動した肩の違和感も丸2年まで3ヶ月を残してほぼ解消。もちろん上下から背中に回した右手と左手の指が届くというような域ではないにしても、トレーナーさんからも「もう肩は大丈夫ですね」のお墨付きもいただく。

特にここ2週ほどは調子もすこぶるいい。施術してくれている方が自分なんかよりよほど疲れていたりしないだろうかと余計なことまで考えて少々申し訳ない。エネルギーの共鳴みたいなものが整体の施術で本当にあるのかどうかは分からないが、せめて自分からの波動が澱んだものでなく、できることならいい感じで返っていきますように、とか。

そんなスピがかった妄想より、金銭というエネルギーを対価としてお支払いするに過ぎたるはないのが実際のところ。肩の問題は解消してもこれで卒業ですねとは言われることもなく、年明けて来月もしっかり週1ペースの予約。向こうにとっては商売というもの以上でも以下でもない、ビジネスライクな愛想よさがいっそ清々しい。

ともあれ自分から発する波動というものがあるとするなら、できるだけいつでも整った状態でいたいもんだと思ってたその矢先。金曜の博多座での立川志の輔・生志兄弟会は、母が行きたいと言うからチケット取ったにも関わらず、公演2日前に迫った段階で「他所から別のイベントに誘われたのでそっちに行ってくる」というドタキャン喰らって気持ちが一気に濁流化。

万一体調が悪くなったら他に行けそうな人を探すので無理はしなくていい、とは確かに言ったけど、この理由はちょっとどうなのか。友人づきあいなら迷うことなくフェイドアウト対象なんだが、親だとそうもいかない。そしてこの件に限らず昔っからこの人は…と過去のあれこれが記憶の層から湧いてきて、澱みが全身を駆け巡る。

母の中での自分の優先順位の低さを上げろと言うつもりはなく、老い先短いんだし好きにしたらいい。それでも最低限の礼儀としてどうにかならんのか、という自分の不快感なのか正義感なのか価値観なのか、よく分からないがこれも一回手放そう。そもそもこれしきで波立たない、安定した気を保てないという現実。

結局当日は長男につきあってもらってそれなりに楽しんできた博多座。

過去にも2回ほど友人のドタキャンチケット消化に長男を駆り出していて少々申し訳ないが。というかなぜそんなにもドタキャン喰らうのか自分、という話はまた別の機会で。

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