團菊祭五月大歌舞伎、昼の部。
初日おめでとうございますとか、千穐楽おめでとうございますみたいな挨拶するほどの思い入れは敢えて持たないのだけど、今月は夜の部もチケット買ってるし、中村屋の歌舞伎町歌舞伎も行くし、連休中の平日の公演は貴重。
毎年五月、ほぼ古典演目の團菊祭は特に観たい演目がなければパスしてきた年も多いのだけど、今年は左團次丈の一周忌追善公演でもあり。
弁慶や髭の意休、夕顔棚の爺、身替座禅の玉の井。自分が歌舞伎座通いをしてたのはほんの十年そこそこではあったけれども、生前の左團次さんが出ている芝居を生で観られたタイミングであったのは幸いだった。
伝え聞くこの俳優さんの逸話のどれもこれも洒脱な為人が溢れていて、そして最期の飄々とした去り際まで、憧れずにはいられない。
そういう年の取り方は、したいなりたいと思ってできるような気はしないにしても。
鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)おしどり
松也、右近、萬太郎の若手舞踊演目での幕開け。鴛鴦を模した衣裳がまず眼福。でも正直話の筋がよくわからない。
遊女喜瀬川をめぐって源氏の河津三郎と股野五郎が相撲で勝負をつけ、敗者股野が身を引くことになったのだけれども、河津への遺恨を晴らすために股野は雄の鴛鴦を殺してその血を河津に飲ませて攪乱を図る。後半番を失った雌の鴛鴦が喜瀬川の姿を借りて雄の鴛鴦の血を飲んだ河津の元に姿を現す。河津を殺めようと追ってきた股野に対する鴛鴦の夫婦の精との争いの舞踊。
元々鴛鴦モチーフのデザインの服から鳥の姿に変身の部分を「ぶっかえり」というそうなのだけど、ちなみにこのエピソード、何か出典があるのだろうか?というような細かいことは、もしかしたら筋書、もしくはイヤホンガイドで触れているのかもしれないけれども。都度の観劇にそこまではお金かけないケチなお客なもんで。
歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)
四世市川左團次一念祭追善狂言ということで男女蔵さんの粂寺弾正。時蔵鴈治郎又五郎菊五郎とがっちりベテランで脇を固めて、後見が團十郎っていうなかなか贅沢な配役。
粂寺弾正って、気も頭もよく回る愛嬌者ではあるんだけど途中結構なセクハラ親父で、そういうの演じてもカラッとしてイヤミが残らないのも左團次さんのキャラだった。
思い出すのは一昨年の暮れの團十郎襲名公演夜の部で、体調不良で休演になった白鷗さんに替わっての左團次さんの仕切りの口上。さすがにいつものおふざけモードは抑えて昼の部での新之助くんの「毛抜」という異例の配役について褒めていた(自分はその月は夜の部だけだったんで観ていない)。そんな左團次さんの代わりにでもないが四代目猿之助丈が「これまで28?カ月歌舞伎座出ずっぱりだった自分に替わってこの先は新團十郎に活躍していただきたい」みたいな、それお祝いというのか何なのかな挨拶口上してたのを思い出す。左團次さんの訃報と、そしてあんな事件が起きることなんて思ってもみるはずもなく。
ともかくオメッティさんも男寅くんも、ご立派に勤めておられた。こうしてshow must go onとばかりに時は流れていくんだろう。
極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)「公平法問諍」
ここまで團菊祭の團も菊もなんだか薄めという感がなきにしもあらずだったけど、團十郎さんにはこういう華のある主役がいい。いつぞやの一力茶屋の勘平ではなんだか聞き取りにくかった台詞回しも、今回に関しては全然気にならない。
ただ、菊之助さんの水野についてはやっぱりなんとなく役回りに対して薄味な気がしてしまう。右團次さんはなんか久しぶり~って感じ。
河竹黙阿弥作、1881年東京春木座初演。どちらかというと侠客贔屓の旗本の方が悪役という視点なのはやはり維新後の作品ではということだろうか。実際の事件は1650年頃の話らしい。
コメント