先月の機内上映でリメイク版の映画見て、これは元の小説の方を一度読んだ方がいいかと文庫本を取り寄せたのだけど、カポーティの「ティファニーで朝食を」と映画作品とのギャップもかすむほど。そもそもにして小説の読者層と映画のターゲット層は別の想定だろうから当たり前といえば当たり前。
映画の方は全般として娯楽作品、しかもリメイク版は舞台版ミュージカルからの流れで登場人物の人間関係もかなり簡略化して、内容としてあまりにシビアな部分はぼやかしてる。それはそれでいい。
小説では主人公セリーの十代での妊娠は家庭内の性的DVの結果であることがより明白に表現され、亡き母親もセリーに裁縫を手ほどきしたやさしい母というイメージより、前夫を白人からの私刑で失ったがために心身共に弱ってしまって、そこへつけこんできた男から娘を守ることができなかった女性であるということもきっちり描かれる。さらに無理やり嫁がされた夫のひどい仕打ちも相まって男性自体を愛せないセリーと歌手であり夫の愛人でもあるシュグとの関係は、シスターフッドを越えて完全にレズビアンの域。最後の夫との和解は夫婦としてではなく、同じ女性を愛しながらどちらもシュグを自分ひとりのパートナーにすることができなかった者同士の気持ちの分かち合いの方。余談だが牧師の娘というシュグの設定は映画のみ。
夫の連れ子のハーポの妻ソフィアが市長婦人に執拗に絡まれた挙句に暴力を起こし、11年もの刑に処せられる部分もまた映画より壮絶なのだけれど、市長婦人がどうしてそこまでソフィアに執着して保釈の後に代償としてメイドのただ働きをさせるのか、さらに映画では扱われないエピソードだけれどその娘がソフィアに執着するのかは結局よくわからなかった。
さらにセリーの妹ネッティーが宣教師夫婦に同伴してのアフリカ滞在の様子も小説では全体の半分に近いくらいののボリュームを割いている。
フェミニズム、ミソジニーとミサンドリー、LGBT、そして奴隷制度解放後も延々と残る人種差別問題、アフリカ回帰運動の理想と現実。最近になって社会的に露わになってきたいろんな問題がぎゅう詰めの1冊。単なる「Black is beautiful」という黒人文化賛歌にも、また社の不平等への糾弾だけにも留まらず、こんな現実であっても根本的な希望が根底にあって、それこそともすれば人がが見逃してしまいそうな神の御業による「紫色」。
発表された当時にもし読んでいたとしても、高校生の頃の自分にはまったく内容が理解できなかっただろうと思うし、今の時点でもこの作品で描かれていることをきちんと理解できているのかというと自信はないけれど、少なくとも40年もかけて描かれている世界の解像度は少しは上がっているはず、そう思いたい。
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