小中学校の夏休み初日のせいか土曜なのに実家までの道路がなんとなしに渋滞。昼前のスーパーもいつも以上の混雑で、個人的にはこの時間帯にはできれば買い物したくないのだけれども、こちらにいる間は基本母の生活ペースに合わせて動くしかないので仕方ない。
お客様用の紅茶が切れるから今度ららぽーとに行くときは忘れないで思い出してね、とか母は私をリマインダーに扱ってくれるが、こちらもあと5日後東京に戻るのでららぽーとに行きたいのであれば日を決めて行かないと次回は2週間後以降になる。そうでなくてに夏休み期間に入ってからのショッピングモールなど平日でもみだりに近寄りたい気はしない。
いよいよ11波入りしたというコロナ感染者数のこともあって、いよいよ気軽には出かける気分ではなくなってくる。かつての全国的(というか世界的)自粛要請の頃は個人的には逆にそこまで神経質にもなかったくせになんだけど、5類に移行後ということで却って罹ると以前よりも厄介なことになるような気がしてしまう。
出かける動機としても、物欲がなくなったというのでは断じてないんだけど、ひと頃に比べたら随分と鎮静化しているのは確か。という話は冬の頃にも書いた。節分、春分、夏至と季節はめぐってもやっぱり同じく服も靴も化粧品も欲しいと言えば欲しいんだけどもなきゃないで問題もなし、という感覚がいまだに継続している。
身に着けるものに関して言うなら「見た目としてどういう自己イメージを目指してるのか」問題自体にまだ回答が出ていない。ある程度方向性としてはあるんだけど、イメージとしての解像度がまだぜんぜん低いままで、何を新規に投入したものかの確信が持てなくて保留にしたまま。冬の頃の、何をしても化粧のリがピンと来なくて目鼻の位置も私の顔ってこんなだったかしら?みたいな状態だけはその後なんとなく脱したものの。この自分の顔を見失う現象、なんとなくいつも冬に発症して夏の頃にはいつの間にか解消しているのもなんでだろう。
服やコスメ周りではなくても、食料品や日用雑貨で母の買い物のついででは買いにくいもの(冷凍食品や近所のスーパーにおいていないスパイス類やこじゃれた雑貨なんか)を母同伴でない日にさくっと買いに行きたい気もなくはないのだけど、なんだかんだめんどくささが先に立ち、結局最後の日曜日だけど家にこもって過ごすと決める。
ここのところ、母の所から帰ってきてもなんだかんだとやることが多くて気がつけば4回分溜まっていた大河ドラマを一気に消化。この私が大河を4回分も溜めるとか、それ自体が驚きなんだが。
佐々木蔵之介演じる藤原宣孝のキャラ、なんか既視感があると思ったら、「麒麟がくる」の秀吉か。懐の大きさに底知れぬ腹黒さが垣間見えるような。
博多水無月と銘打ってた生菓子。もう終わったと思ってたらこの辺の季節行事は旧暦というか月遅れなのか。一般的な水無月はあまり好きではないのだけど、この水無月は触感が麩饅頭寄りでとても好み。来年もこの時期絶対この店で買おう。
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