ちまようぺりかん。

遊びをせんとや

10月の歌舞伎座、昼の部の「権蔵と助十」は未見だし、夜は好物の泉鏡花「婦系図」。演目発表の時点では久しぶりに両方行くつもりであったのだけど、チケット発売日を失念したまま1週間。

これまでも発売開始から1,2時間経ってから思い出して慌ててということはよくあった。それがここ1年くらいは1日、2日後に思い出すなんてしょっちゅう。特に10月夜の部は仁左玉の共演だからもう完全にアウト。1階席2階席はともかく普段慣れ親しんでいる3階席が残っているはずもない。で、3階席料金以上でも見に行くかというと、悲しいことにもはやそうではないのが自分の中で嫌でも明白になってしまい、もうこの時点ですっぱり諦めがつく。

それはそうとまったく別件だけど、当初行くつもりにしていた食事会付の一華五葉さんの講演会についても自分の意思でもって見送った。行けば絶対に満足しかないのは分かってるし、これまでZOOMでご縁いただいたお友達にリアルで会えるのも楽しみだったんだが。申し込みサイトまで開いた段階でなんでか「たぶん自分は今じゃない」という声が自分の中で響いて先へ進めなかった。その後申し込んだよという人たちの声を聴いても、行く人は楽しんできてお土産話くださいねーと思うだけで至って平静なのは、たぶんでなく本当に自分はこの件のタイミング今じゃなかったらしい。

ほかにも11月下旬を予定していた調布の家の撤収ほか、いろいろ進めようとしていたことが次々とリスケになったり頓挫したりが続いていた最中のこと。このピークが先月の台風の日にぶつけて割ったクルマのリアガラス。そこから1ヶ月近くが経過して、クルマはいまだ修理から上がってこないけど、秋分を迎えてそういう流れも自然に変わっていくんだろうけども。

よりステージの高い世界を体験する機会よりも先に自分の原点に近い方へと引き寄せられていくのは、居座る炎天下で自転車漕いで空や川を眺めたりみたいなことばっかり毎日のせいだろうか。

更に困ったことに自転車生活からさらにバイクの記憶がよみがえってきて、気がつけばバイクのことしか考えたない。歌舞伎座よりお食事会より、ツーリングに行きたい自分って今更何なの。

それこそ一華さん曰く、明確なイメージは実現するのが脳の仕組みだそうだが、最近類を見ない解像度で今自分の中で排気音やスロットルに連動するかの自分の心臓の動悸までありありと脳内再生してしまっている戸惑い。

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