牛柄の彼女のこと。

日々のぼやき

ところでこのブログの「こちまちこ」は飼っていた猫の名前で、プロフィール写真も同じくその牛柄のハチワレ前髪の猫。半年前、自分が福岡に来ていて看取ることができない間に亡くなってしまった。調布の借家を撤収する折にはもちろん彼女も一緒にこちらに迎えるつもりで準備をしていたのだけれど。

常に上目遣いでへの字口な写真の面影の通り、なかなかに拗らせた性格の子で、万事につけ疑り深く撫でてほしくても自分からは来ないで少し離れたところからじとっとした視線で念を送ってきているような子だった。そのくせこちらが近づくと違うもん!と言わんばかりに逃げていく。何かといえば癇癪を起して文楽人形の’がぶ’(人形が突如鬼の形相になる、あれ)のようだったし、雷でも病院でも気に入らないことが身に起こると押し入れに引きこもって出てこない、一番扱いづらい子だった。そして何より、家族の中では私に一番懐いてなかった。たぶん次男のことが一番好きで、次男が一人暮らしを始めてからは目に見えて寂しげにしていた。猫同士では彼女より少し先に家に入った橙猫とはなかよくしていたけれどもさらに4年経ってから迎えた黒猫のことは最後まで受けつけてくれないままだった。

とにかく色々扱いづらかったこの子のことが自分はいまだに愛おしくて、彼女の不在が思い出す都度寂しくて仕方ない。その拗らせっぷりをどこか自分の分身のように感じていたかもしれない。あの子がもういない、と思うとそのたびなんだかしゅんとうなだれてしまう。

その拗らせメンドクサい女子だったあの子が、いまだプロフィール写真。

SNSなどのアイコンが自分自身の写真ではなく飼い猫というのも自己肯定感の高くない人あるある仕草だとは思う。

この自己肯定感周りの拗らせを、還暦間近の今更だけど直していこうと日々精進中ではあってその一環としてもプロフィール写真はそのうちきちんとしたものを撮ろうという気はある。もちろんプロフィール写真を猫から自分自身に差し替えてそれで永年の拗らせが治るのかというとそういう話ではないんだけど、でも作り笑顔からでも気分を上げようという心意気はあるだろう。

でもまだしばらくは、そんな拗らせに拗らせた彼女の写真のままにしておきたいと思うのは、最期を側で見送ってやれなかったことの贖罪や未練、哀惜でもあるけれど、彼女同様に拗らせに拗らせてたこれまでの自分自身も一緒に思い出して、そんな自分のどうしようもなさも受容したい気持ちもこめて。

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