東京拾遺。

日々のぼやき

再び東京。

ひょっとしたら今後足を向ける機会もないかもの四谷の交差点。調布への引越時点で教会も本来は転籍するんだったんだけど今に至るまでそのまんま。これ以上放置したら一生このまんまになりそうで、思い立って転出手続き。

翌日午後、ずっとご無沙汰のままだった義母にもようやく会いにいく。実の親以上にお世話になってきた義父母について不義理なままなのがずっと気がかりではあったのだけど、義父は4年前に亡くなり、義母はそれ以前から話が音飛びするレコードのようで、最近では三男である夫のことはかろうじて名前で思い出せるのみ、孫も怪しく嫁に至っては完全に「どちら様?」状態。

義母の入居する特養の居住スペースでの面会は1度に2人までだそう。近所に住んでいて普段から様子を見ている義妹さんと私たちで3人なので、最初は1階のロビーでお会いしたのだけど、普段居住スペースから出ることのない義母はもうそこがどこなのかが分からなくてかなり不安げ。前日の天気とは打って変わって3月というのに窓の外に降る雪に「早く家に帰らなくちゃ大変」と。義妹さんが「今はこの上に住んでいるから大丈夫」と何度説明しても「嘘よ。なんでそんなこと言うの。うちは平屋の家でしょう」の繰り返し。義母の指す平屋の家がどこのことなのかは義妹さんにも夫にもわからない。

話を切り上げる、と言ったってかみ合う話題自体がないっちゃないんだが。夫が「俺はいい」と頑としてロビーから動かないので義妹さんと私で階上の居住スペースへ送る。

自室に戻ると見慣れた景色で落ち着いたのか、私のことは誰だかわからないなりに「よかったらそこ、ベッドの上だけどどうぞ腰かけて。あらここ、お勝手なくてお茶が出せないわ。困ったわ」と、そこはかつての、とにかく矢継ぎ早にあれやこれやとわんこそばのように忙しい義母。合間に「お父さんも亡くなっちゃったし、私一人でここにいたって仕方ないから、〇〇(義母の生家の地名。今はない)に帰ろうと思うの」と義妹さんに向かって言う。

恩送りとは言うけれど、私は上の世代はおろか同世代、次の世代に対してもただただ何をするでもなく手を拱いているだけ。毎回同じ後悔を繰り返しながらやはり手を拱いているだけ。

週が明けて夫も仕事復帰。今週後半には福岡に帰る。何事もなければこれで今度こそしばらくは状況しない見込み。と言ったって数ヶ月後には様子見には来ることになるとは思うけど。

コメント

タイトルとURLをコピーしました