家の中の事にかまける日々。

日々のぼやき

日がな一日取り留めなく目についた所を掃除。猫の毛埃やトイレ砂からガラス窓の曇り、水回りとやってもやってもキリがない。

特に排水溝なんて、週の初めに台所、洗面所、浴室と一通りやったはずなのに。残り湯にオキシクリーンぶっこんで流したはずのあれは夢だったかというくらいにすでにもう水垢というか石鹸滓の溜まり具合が早すぎて、これからの梅雨が思いやられる。

そして。久しぶりにうっかりのフードロス。だいたい常備しているのだけれど今回うっかり食べきらなかった鶏ササミの蒸したのの残りと、早くも麦茶など作り始めてしまったもので冷蔵庫に入りきれずに出しておいた白菜1/4玉。たぶん先月だったらこのくらい置いといてもまだなんとか傷まなかっただろうけど。窓を開けていればまだ過ごしやすいものだから油断してたら着実にもう、そういう気温。

いつになれば、いくつになればそういう失敗のない一人前の主婦と自認できるようになれるやら。家事に限らず多岐のことについて、還暦間近で自分の仕上がりこんなもん?とがっかりなことは多々。

とは言え生来が散らかし屋で不器用片付け下手衣食住すべての分野で家事センスなしなスタート地点から考えるなら、よくぞここまでがんばってきましたと自分を褒めてもいいかとも思う。

たぶん自分は還暦時点どころか一生かかっても家事上手には、まずなれないと思う。人を招いて手料理を振舞うような域はとっくに諦めている。でも自分が食べて満足で居心地よく過ごせる状態を維持する程度のスキルだけはなんとか手に入れたい。そういうつもりでここまで家事下手なりにやってきて考えることだけど、自分が自分の暮らしにそうあってほしいと望んできたことというのは、なんというか、「始末がついている」状態なんだろう。それってまんま、以前にお世話になった「友の会」で触れた羽仁もと子著作の影響だけど。

浴室や台所の流しの水滴まで拭き取って、家計簿の収支まで合わせて。そんな毎日を積み重ねて、なんの功績も残らない最期でもその時点での生活の「始末」がついていたら、それで満足できるんじゃないか、とか。実際は水滴拭き取るどころか、たまに夕飯の汚れものそのまんまにして寝ちゃったりしてる日もあるんだが。

たまたま在宅時間がしっかりとれる状況で家の事に存分に時間をかけられる今の状況もいつまで続くとも限らないから、少しでも理想の始末のついた生活目指して精進しようかと。

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