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様子見すること踏み出してみること。 | ぽんこつ歳時記

様子見すること踏み出してみること。

日々のぼやき

大名教会の日曜ミサに寄らせてもらった後、空港に直行し、長男は東京宅へ。5月の夫の時もそうだったけど、空港で誰かを見送った後というのはいつもなんだか物寂しい。物寂しいと同時に清々しいみたいな気分もほんのちょっとだけ。

長男が帰って以降もいろいろタスクに追われて、今月はこちらに来てまだ1週間も経過していないというのにすでにあちこち溢れ気味。母の退院が予定外に早まったということもあって、到着日から連日実家には寄っている。

先月の手術直後は母もかなり弱気になっていて、去年借りたばかりの部屋も解約して完全同居に向けて動いた方がいいのかとも考えてはみたけれど、当面身の回りのことは一人でも問題なさそうなので、お互いの精神衛生のためにもまだしばらくは車で20分程度の距離の通いで行けるかなと思う。

ここいらの家賃相場もピークはこれから5年くらいだろうから、そこからゆっくり希望の条件の物件を探してもたぶん遅くはないとは思う。その前にいよいよ本当に母との同居が必要になってしまう可能性もなきにしもあらずにしても、まずは実家の片付けに着手しながらとりあえずは様子見のつもり。

忙しないのはそのこと以外にも、先月から勉強中のことがあって、その関連でのZOOMでの集まりとかその連絡とか。自主的にやっていることなので、スケジュール的に忙しなくても充実感はあるし、そもそもだけどこの程度を忙しないというのがまず烏滸がましいのだけれど。

会社員時代も、他の場所でも、自分をコミュ障と決め込んでこの手の調整事は誰か得意な人がやってくれるだろうと基本いつも待ちの姿勢でいたし、参加したらしたで周りの様子を伺うだけで疲弊していたような自分が、だ。手際は拙いながらも自分から踏み出して動いててとりあえずやってみているということに自分でもちょっと驚く。

そして同時に一緒に参加しているヒトたちの一人一人もみんなが回を重ねる毎に雰囲気がどんどんいい感じになっていくのも見ていて疲弊する以上に楽しかったりする。

会社を退職する数年前から思い始めたことでもあるんだけど、自分のことを人見知りだコミュ障だと思っているのは自分だけでなく、そこまでではないにしてもほとんど全員がそれぞれにその場に対するアウェイ感を抱えて内心少しびくつきながらその場所に居合わせている、ただそれだけなんだろう。

臆せず驕らず自由自在で肩の力を抜いてその場にいられるスキルが身につけられたなら、それだけでいろいろ変わるんだろうなということの、ちょっとした実験。できればもっと早くに気づけていればとも思うけど、いろいろしくじって痛い目を見てきたこともたぶん必要だったからと思うことにする。

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