今借りている部屋にはクローゼットなるものがない。キッチン脇の納戸的空間につっぱり棒を渡してワンピースや上着の類はそこに吊るしていたのだけれども。1着は用意があった方がいいだろうと昨日長男が買ってきた夏物の上下が加わった途端に重量の限界を迎えた。
落ちてしまった服の山からしばらく袖を通していないチャコールの薄手の生地のワンピースを見つける。確か5年前の義父の葬儀で着たのが最後だったような。試しに今着てみたら、入らないということはなかったものの、鏡の中のラインになかなかつらいものが見えて、そそくさと脱ぎ棄てた。
そのワンピースはともかくとして、他に特に違和感もなく5年10年と着続けているものだってあるのだから、そこまで極端に体形が変化したワケではないはず。そう思いたいだけか。
とにかくワンピースというアイテムについていえば手持ちのどれもこれも極端に似合わなくなっているという現実。体形以外に、自分の何が変わったんだろうか。そしていつかまたそれらワンピースたちがしっくりくる日は再び訪れるのだろうか。
着るモノに関して最近思うことと言えば、所謂カジュアル、ナチュラルっぽい服がますます鬼門となりつつあるということ。普段着のつもりで着ていたはずが、ややもすれば部屋着のまま出かけてきてしまったかに、くたびれて見えてしまうこと。
一つに偏愛する麻や綿という素材は、割といいのを大事に着ているつもりでも、特に色の濃いモノはどうしたって生地が毛羽立って白っちゃけてきて、経年劣化が目立ってくるのだ。気に入ると5年10年着続けてその劣化に気づけない自分が問題なのだけど。
でも。まだ劣化していない今シーズンに買ったTシャツ、カットソーにしても、それ単品で着ているとまた、部屋着で出てきてしまいました感半端ない。イヤリングかネックレスを足してなんとかカジュアル着です、という感じに持っていくのだが、そのアクセサリー類にしても、40代、50代前半で買ったモノだとこれまたなんか違う感しかなかったり。
このなんか違う感をいろいろ調整してようやく整った、と思うも束の間、また新たに始まる「なんか違う」期をずっと繰り返し続ける一生なのだと思う。しかもその「整っている」も「なんか違う」もあくまで私個人の中の感覚でしかなくて、他人からすれば一貫して着るモノにセンスのない人、というだけでしかないんだろうなという気も薄っすらしている。

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