七夕の翌朝の梅雨明け宣言。
この辺りの七夕はお盆同様旧暦にやる記憶だったけれども最近は必ずしもそうでもないらしく、総合病院やホテルのロビー他短冊の下がった大笹を見かけた。
趣味のよい行いでないのは承知だけど、誰とも知らない人の下げた七夕の短冊や神社の絵馬をついつい読んでしまう。七夕であれば織物や裁縫、習字の上達、神社であればそこの神様の専門分野?に関することが基本かと思えば(昔読んだ太宰治の文章にあった気が)、これもそうとも限らないというのが読んでいて見て取れる。特に病院のロビーで見た入院中の患者さんのものと思われる「早く退院したい」には早くよくなるといいねと他人事ながら思うし、「1円でもボーナスが上がっていますように」というのは職員さんだろうかこれもまた切実だ。先月は太宰府天満宮の境内で押しのチケットがどうとか、他に「家内安全」や「結婚」はあまり道真公の得意分野でもなさそうな気もするけれど、願いとしては順当。
振り返って自分。何か書きたい願いがあるかというと、これがさっぱり何も浮かばない。義理でもなんか書けとなればそれこそ「無病息災」とか「家内安全」とか「世界平和」とか、順当ではあるけれども自分にとってそこまでの切迫感がないようなことしか書ける気がしない。「世界平和」に切迫感が持てないとか言いきってしまえるのはどうかと思うも、実際夜も日も空けず自分がそのことを祈り願っているかといえばそれはまちがいなく嘘というよりもむしろ偽り。
こうだったらいいのに、こうなればいいなぁ程度の思いだったらそりゃいくらでもある。例えば思い立ったら多少遠方でも遊びに出かけてくるだけの時間とお金と体力の余裕とか。値段見ずにこれと思ったら即買いしたいし、もう少し便利のいい場所に居を移したい、とか。
でも日々いろいろ諦めて見送っていることについて、本当に余裕がなくてと言うよりそれを押してなんとかやりくりつけてまで行きたいという気持ちがまずないのだことを、自分が誰より知っている。買いものにしても、とりあえず買ってみて使い勝手が悪かったら捨てるみたいなお金の使い方は極力したくなくて結果的に買い控え状態が長いだけ。貧乏性といえばそれまでなんだけれど、それでも買い物の失敗はいまだにそこそこの頻度で発生。そして住まいのことは、家賃を払えたとしても諸々考慮したら結局いろいろ面倒になって、しばらくは原状でよしとなる。

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